kaiだらけでごめん 海ちゃんのお気楽生活
>>ひとりごと
雨のステイション                         2017/08/13
少し暑さがやわらいだ8月中旬の日曜日、お盆で夏休みの方も多くいることでしょう。でも例年通りと言うか、私の夏休みはすっかり何処かに隠れてしまっています。この夏もマイペースながらそれなりに忙しく働いています。
それでも、クライアントがお休みなのでメールも電話もなし、気が楽な一週間です。

今日は日曜日だし、午後から仕事のつもりで朝寝坊をして、今、音楽を聴きながらパンケーキを焼き、丁寧に入れたコーヒーでブランチを取っています。

ユーミンの雨のステイション。
先週、息子がYOUTUBEにアップしたジャムセッション Naked Jam No5の曲が『雨のステイション』でした。しみじみといい曲、いい演奏でした。
https://www.youtube.com/watch?v=6kVY6FhmQmw

この曲はユーミンが荒井由実の時代、1975年のアルバム『コバルトアワー』に収録されています。この中には『卒業写真』や『ルージュの伝言』も入っています。

我が家にあるのは、CDではなくてレコード。我が家にはまだまだたくさんレコードがあるんです。音楽をこよなく愛した夫のために全部データベース化してナンバリング、新しい保護袋に入れてラベルを貼って、ナンバー順に収納してあります。おかげで、探しやすくなったし、重複して買ってしまうなんてことも無くなりました。
今はなんでもデジタル化の時代ですが、これらのレコードのコレクションは捨てられません。残される者には迷惑でしょうが、死ぬまで持っているつもりです。

『コバルトアワー』を取り出したら、かすれぎみのラベルはNo.2、そうか、2番目に登録したんだな。1番目は『悲しいほどお天気』まずは好きなレコードから入力したのだとわかりました。
ふわりと針を載せ、コーヒーをすすり新聞を広げる、、、と、流れてきた音楽につい耳をそばだててしまって、新聞の文字が頭に入ってきません。
やっぱり素敵、ユーミン。彼女の澄んだ感性と個性溢れる豊かな表現力にまいりました。

雨のステイション、あなたなら、何処の駅を想い描きますか。
ユーミンは、西立川駅を想って書いたのだとか。彼女は八王子出身だから辺りのその駅にきっと思い出があるのでしょう。
おそらく、誰でもに自分の想う駅があるのではないでしょうか。胸がきゅんとする切ない想いかもしれません。

40年以上も経ったのに、変わらずこのレコードを聴いているなんて、当時の私には想像できませんでした。
でも、当時と同じ私が今もいるなと思いました。
ほめ言葉                              2017/08/08
「あなたは美人じゃないけど、可愛いわよね」っていうのはほめ言葉なのですよね。
でもでも、前半部分が無ければ、すごく嬉しいけれどなんだかなあ。

よーくよく、自分でも承知しています。
鼻ぺちゃであごは長いしその上おでこ、色黒に加えて、若い時に日焼けを存分にしてしまったせいでシミだらけの顔なんだもの。

でも物は考えようで、だからこそ自分を磨くのに一生懸命になるというもの。もし、私が美人だったなら、相当なぐうたら人間になっていたと思います。

女は顔じゃない心だなんて言っても、少しも慰めにはならず、もちろん心の方がずっと大事だけれど、やはりきれいでいたいと女性なら誰でも願うでしょう。だから、少しでも見た目も良くなるように日々努めます。

誰にも会わない休日でも、できるだけお化粧することにしています。ノーメイクが理想なのだけれど、肌がきれいならばと言うことで、私は残念ながら全く自信無し。せっかくメイクしたのに、本当に誰にも会わなかったりすると、あららもったいなかったなんて、せめて、kaiちゃんがいればいいのにと思ってしまいます。

さて、いつものメイク、このところちょっと変えてみました。
ずっと同じメイクをしていると、だんだん顔が古くなってくるでしょ。メイクって流行もあるし、変化がすごく大事ですよね。

私くらいの年齢になると、(何歳?って突っ込みがきそうだけれど、聞かないでね)とにかくあまり濃いお化粧は似合わない気がします。なので、今はまつ毛にビューラーは使わない、アイラインは描かない。
大体、メイクってやり過ぎが失敗の元、また、気が変わるかもしれませんけれど、今は薄化粧がマイブーム。
およそ誰も見ていないし、ただの自己満足だと分かっていますけれどね。

以前、知り合いの60代後半の女性が
「目と鼻と口が付いていれば十分、お化粧なんてどうでもいいって60過ぎたら思うようになった」と言っていました。うーん、私はどうもそこまで到達しそうもありません。

メイクやネイル、おしゃれの愉しみは捨てられない、きれいにネイルが塗れた時は嬉しいし、新しいマスカラを使えばその日一日中幸せな気分で過ごせます。要するに自分のためなのです。

時折、挨拶を交わすご近所の80代のおばあちゃま、先日は黒のワンピースにカラフルなポシェット、爪をベージュにネイルして、薬指と小指だけピンクと水色でした。
思わずいつも素敵ですねって、声を掛けました。
おしゃれは気分を明るくしてくれます。
残す言葉                               2017/06/28
kaiちゃんとは以心伝心。想いは伝わる。


数日前、東京新聞の本音のコラムに目が止まりました。
看護師の宮古あずさ氏が、がん患者の最期のことを書かれていました。

乳がんで闘病していた小林麻央さんが最期に「愛してる」と言い残して旅立ったことに関して、
麻央さんのご冥福を祈りつつ、ブログで読者に勇気を与え続けてきたことを称え、
しかし、実際には最期に会話できる人はほとんどいないと書いています。そのような最期は稀有なことなのだそうです。
病気の展開予想は難しく、大抵の患者さんは鎮痛剤で眠らされて、そのまま息を引き取るのが常だと。
「だから見送る人間にできるのは、話せる間にうんと話すこと」と宮古氏は書いています。

愛する人からの最期の言葉、残される者にしてみればどんなにかその言葉が欲しいことでしょう。
確かに、その言葉はその後の人生の支えとなるように思います。
また、最後どんな思いでいたのか知りたいとも望むでしょう。
もし、眠ったままに逝ってしまったら「ありがとう」と言われたかった、「愛してる」と言われたかった、そう思うのは当然のことです。

最期の言葉として、遺言を残す、もしくは手紙やメモを残す、そんなことも考えられます。
けれど、愛しているからこそ、あえてそれを残さないこともあるのではないでしょうか。
例えば、その言葉によって残された者を縛りたくない、いつまでも自分のことを想うことで前に進めないなんてことがないように。
あるいは、その人の信条やポリシーからむしろ残したくないということもあるでしょう。
もし私が死にゆく立場であるのなら、残さないかもしれません。

最期だけでなく、たくさんの言葉を思い出せるように、思い出してもらえるように、「話せる間にうんと話すこと」が大事なのですね。
元気な時にこそ、いっぱい話す、バカを言い合ったり、時には言い争いをしたり、なんということもない日常の会話、その一つひとつの言葉はみんな最後の言葉になるのだと思います。

突然倒れてそのまま亡くなってしまった夫との会話を私は毎日のように思い出します。二人でいる時は尽きることなくおしゃべりしていました。よくもまあ、他愛のないことを冗談をまじえてしゃべり続けたものだと思います。今となれば、そうやってお互いに言葉を交わして日々を暮らして来れたことに感謝せざるおえません。
本当は、その日ちょっと喧嘩をしてしまったのですけれど、そしてそれがなんとも悔しいのですけれど、彼が心に思っていたことは私には伝わっていました。だから、揺らぐことなく笑顔で彼の気持ちをおもんばかることができます。
最期の言葉、実はちゃんともらっていたのだと気付きました。
夢                                2017/03/28

死が何が悲しいかと言えば、もう絶対に逢えないのだということです。
逢うことも触れることも、声を聴くことも話すことも、けっしてできません。

たとえ地の果てに別れ別れになっても、生きてさえいれば、どこかで再び逢える日が来る。
そんないちるの望みが残されているけれど、死んでしまったら、すべては終わってしまうのです。
あたりまえのことだけど、その現実に打ちのめされます。
さっきまでいたのに、今はもういないという事実。
触れた手の温かさ、見つめた瞳の輝き、規則正しい呼吸の音、匂いも感触も残っているのに、
もはや過ぎ去ってしまったという事実。

でもしかし、ふと考えます。
もしも死んだなら、別の世界で逢えるなんてことがあるのでしょうか、本当に。
そうであるのなら、その日を楽しみに生きていけます。
再会の瞬間を想像すれば、ぽーっと胸が熱くなります。
いてもたってもいられない気持ち。

そんなことを思う春の夜です。
ドビュッシーの「夢」を聴きながら。
この世界の片隅に                        2016/12/31
2016年最後はアニメ「この世界の片隅に」の映画を観て終わりました。
原作:こうの史代
監督・脚本:片渕須直

今迄のいわゆる「原爆・反戦映画」とは違っています。
どう違うのか、うまく説明できませんが、暗く重苦しい空気がおおっているのではなく、戦時の人々の生活がたんたんとそれもユーモアたっぷりに描かれていて、喜びや悲しみや怒りや後悔、もろもろの感情がじわーっと心に染み入ってくるのでした。

原作者のこうの史代さんは本(漫画)のあとがきでこう書いています。
「この作品では、戦時の生活をだらだら続く様子を描くことにしました。
そこにだって幾つも転がっていたはずの「誰か」の「生」の悲しみやきらめきを知ろうとしました。」

主人公のすずさんの発する言葉が今も胸によみがえります。
演じた能年玲奈さんの声と共に。(能年玲奈さん、今はのんさんですが、すずさんにぴったりでした。)
そして今、シリアやイラクをはじめ戦火のただなかにいる人々にも同じ生活があることに想いをはせました。

どうしても原作を読みたくなって、大人になって初めてコミックを購入してしまいました。
晩秋に2つの美術展                        2016/12/08                       
二週続けて、気になっていた美術展に行って来た。
「デトロイト美術館展」と「ゴッホとゴーギャン展」だ。

「デトロイト美術館展」での目当てはゴッホの「自画像」麦わら帽子をかぶり鮮やかな青いスモッグを来た自画像だ、それと、モディリアニの「女の肖像」。
この二つを間近に観られただけで満足なのだが、他にもモネやドガ、ルノワール、セザンヌ、ゴーギャン、そしてピカソやマティス、52点もの名作が展示されていてものすごく見応えがあった。すべてを観終わったら、もうへとへとだった。
いつもそうなのだが、大抵の美術展では作品数が多すぎて、頭が飽和状態になるのは私だけだろうか。
一つひとつゆっくり観ていたら、いつまででも見切れない。このデトロイト美術館展も、できることなら何回でも来てじっくりみたいものだと思った。

さて、もう一つは「ゴッホとゴーギャン展」
またしても主役はゴッホさんだ。
ゴッホ対するゴーギャンと言う風に、つい比べてしまい、私は圧倒的にゴッホの方が好きだし、ゴーギャンはそれほどでも・・・なんて思い込んでいたのだけれど、ゴッホとゴーギャン展を観て、考えを改めさせられた。
ゴッホが好きなのには変わりないけれど、今回は独特な時には強烈な色彩をもって繰り広げられる想像の世界、暗示的とも言えるゴーギャンの絵に、すっかり魅せられてしまった。

特に「ブドウの収穫、人間の悲惨」「紡ぐブルターニュの少女」は意味を解釈するのは困難だが、暗示的な不思議な力に引き付けられる。また「木靴職人」の色合いの美しいことに驚いた。
「肘掛け椅子のひまわり」の前では、なかなか立ち去ることができなかった。二人の仲は破綻したと言われるゴッホとゴーギャンだが、ゴッホが亡くなった11年後にゴーギャンはこのひまわりの絵を描いたという、実は二人の友情はずっと続いていたという証拠であろう。

随分前に観た「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」を思い出し、再びあの絵が猛烈に観たくなった。

さて一方の私の大好きなゴッホ、今回は数ある自画像の中でも明るいイメージの「パイプと麦わら帽子の自画像」が素敵だった。
外に出てみるとすっかり宵闇となっていて、ぽっかり浮かぶお月さまがきれいだった。
読書中                              2016/10/23
悲しい時は本を読む。これに限る。
悲しい時は仕事する。これも当たっているかもしれない。忙しくしていれば、くよくよする暇は無い。
でも、ふと気持ちが途切れれば、元の木阿弥だ。
なんの解決にもなっていない。

だから、本を読む。これに限る。
本の中の世界に入れば、悲しい自分も頼りない自分も愚かな自分ももういない。
そこから帰っていた時には、元の自分ではなくなっている。
なぜか清々しい気分だ。

それと、もう一つ、悲しい時は山を歩く。これはとびきりの効果がある。
森を歩くのもいいけれど、平坦な道ではなく山を登り、下るのが良い。
息を切らしてひたすら歩く。足を前に出す作業を繰り返しているうちに、頂上にたどり着く。
目の前に広がる山並みや木々、流れる風に触れたら、些細なことにこだわり、心を奪われている自分に別れを告げることができる。
最近、めっきり山歩きをしなくなってしまった私が言うのもなんだけど。

さて、とりあえず今日は読書といこう。
日の当たる椅子に腰かけて、昼間から本をめくる日曜日、これほどの至福はないと言える。
かたわらに彼が寝そべっている。もちろん、彼とはkaiちゃんのこと。
お手本                            2016/09/24
もうすぐ、12歳の海ちゃんです。

余命について考えています。
あなたの余命はどの位?と聞かれたら、おそらく30代のあなたなら40年?50年?
あなたよりずっと年を取っている私ならたぶん10年、20年でしょうか。
夫が亡くなってから、しょっちゅう、あと何年と数えつつ、考えつつ生きてきました。

そんなに長生きはしたくないのです。でもそれだけは誰にも分らない。
長生きしたくないと言いながら、美味しいものを食べて、あそこにもここにも行って、家族や友人とおしゃべりをしてといった具合に、生きる欲が死ぬほどあるのに呆れてしまいます。

人間も動物も、みな天命というのがあるのかなと思います。どんなにじたばたしてもその時は来るのですね。
私はそのしばらく前に余命を宣告されたいと願っています。不意打ちの死は免れたい。ちゃんと準備がしたいのです。

そんなことをつらつらと考えていたのですが、気付けば誰に宣告されるまでもなく、残り少ないのだと自覚するに至っています。
だから、もう準備時です。

さて、我が家の愛犬、kaiちゃんは11歳。来月12歳のお誕生日を迎えます。
彼の余命、そんなに長くは無いと年齢からも承知していますが、その時を想像するとうろたえてしまう私です。
しかし、悲しんでもその時は来る。むしろ彼の余命を意識して、しっかり毎日世話をして行かなくてはと自分に言い聞かせています。
我が家には彼の前に二頭の犬がいましたが、どちらもある日、何も予期することもなしに亡くなってしまいました。
もう突然というのはごめんです。できる限りの看病をして、最後までそばにいたいし、お別れも言いたいのです。

自分に話を戻しましょう。
私自身の余命、10年単位ではないかもしれません。数年かもしれないし、数か月、数日なんてこともありえますよね。
と言いながら、もっともっと生きてしまったらどうしましょう。
事実、全く長生きしそうだよねって、友人からは憎まれ口を叩かれる始末ですから、本当に。
ともあれ、明日をも知れずに私たちは生きているのです。
であれば、大事なことを一番に、そろそろ好きなことに重心をおいて行こうかなと思うこの頃です。

ここまで書いてしまったけれど、なんと贅沢なことを考えているのかと恥ずかしくなってきました。
世界には、実に明日をも知れず、厳しい状況に置かれている人々が何百万人、何千万人といるのですから。

悠長にのうのうとしていることなく、身を正さねば。
ひたすらに常に「今」だけを生きているkaiちゃんが、お手本です。
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